ネガティブさは要らない

私の身近には、辛い苦難を乗り越えて、より一層優しくなった人たちが何人かいる。

 

どんな人も、様々な苦難には直面するものだけど、彼らの苦難は並大抵ではないものだ。それでも、明るく微笑んで佇んでる姿は、そんな過去の苦難を微塵も感じさせないほど穏やかなものなのだ。

 

この世界は、ある見方をすれば、とんでもなく危険な場所に見える。

陰謀、策略、欺瞞に満ちた世界だ。

テレビをつけると、どこか遠くの、全く知らない人に起きた悲劇や、起こるかどうかわからない危険に注意喚起するニュースばかりやっている。

 

なぜ、この世界は、こうもネガティブなのだろうかと、私はいつもため息が出る。

 

そういう私も、かつてこの世界のネガティブさにつかまって、危ないぞ、危ないぞと警鐘を鳴らしたことが何度もある。

 

でも、、、、。

 

例えば、母なのだが、

 

母は、ちょうど今の私と同じ年齢で、交通事故に遭った。

仕事を終えてバスから降りて、ようやく家にたどり着けるとほっとしただろう自宅前の横断歩道で、左折してきたバイクに跳ねられ、頭から地面に叩きつけられてしまった。

 

救急車で病院に運ばれ、脳の手術を受けた後は、言葉が出てこない後遺症が長く続き、精神的にとても苦しんだ。長いリハビリによって少しずつ言葉が回復して半年ぶりに帰宅した時に言った母の言葉が衝撃的だった。

『(誰でもない)私で本当によかった。神様に感謝している』

 

バイクを運転していたのは、近くに住む10代の新聞奨学生だった。母子家庭で、弟は障害者。息子の事故の知らせに、うちの玄関で土下座をして謝罪するお母さんの涙に、私たちは胸が苦しくなった。一度、母親に伴われて、事故を起こした少年が、母の見舞いにきてくれたことがあった。

 

私と父は、もう事故のことは忘れて、自分の未来のために生きるようにと少年に話をした。

これ以上の見舞いも、謝罪も要らないと。

私は、当時大学生だった弟と同じくらいの年齢のその子には、未来に希望だけを抱いて明るい青春を生きて欲しかったし、教師だった父も、きっと同じ思いだっただろう。

以来、その子には会ったことはない。明るい人生を送ってくれていたらと今でも時々考える。

 

母は、数年間は、自分の悲運を嘆くこともあったが、同時にこの事故にあったのが、家族の誰でもなく自分で良かったと毎日、神棚に手を合わせて感謝するようになった。

 

私は、思うように言葉が話せなくなる状況が自分の身に起きたらと考えたことがある。

苛立ちと、孤独感に襲われるのではないか、誰かを恨みたくなるのではないか、と。

でも、母は当初こそは苛立ちはしていたが、感謝の気持ちの方が強くなって、次第に笑うことが多くなって行った。

人は考え方次第で、不幸も幸せにもなれるということを教えてもらった気がする。

 

母が普通に話せるようになるのは難しいだろうと医者に言われていたが、驚異的な回復力を見せて、数年後にはぺらぺらと喋っていた。

 

母が入院していた頃、その近くの大学に通っていた弟は、毎日、時間を見つけては母の病室に通い、嫌がる母に付き合って根気よく言葉のリハビリをさせていた。手術後すぐに初めて、半年の入院期間中、欠かさずにやっていた。弟にそんな根気があることに、私も家族も驚いた。母の回復は弟のおかげだと家族の誰もが確信している。

 

その弟が40歳の頃に脳梗塞で倒れた。

実家に戻って今度は、弟が家族の手助けによってリハビリを受けていた。

幸いほとんど麻痺も残らずに回復して東京に戻って行ったが、その10年後に今度は癌になって再び実家に戻ってきた。

80代の母は、弟のために、毎日買い物に行き、体に良いご飯を作り続けた。

実家は階段がない4階にある。物が詰まった買い物カートを4階まで毎日運び上げる作業はどれほど大変だっただろう。

一年後、弟は両親に感謝して、東京に戻って復職をした。

 

それ以降、彼の癌は完治していないが、5年以上進行もしていないようだ。

弟からも弱音や愚痴を一度も聞いたことがない。常に明るく、そして優しい。

 

私の周りにはこういう人が多い。

彼らの特徴は、自分に起きたことを誰かのせいにしない。

そして、どんな時も感謝の気持ちを忘れないのだ。

そこに心底、感服する。

何よりも、自分の人生に希望を忘れない。

だから、この世界にも希望を抱いている。

 

不幸を数えるよりも幸せを数えるし、絶望よりも希望を探す。

些細なことに感謝を探すので、人に優しくなる。

 

ああ、こういう人たちがこの世界に存在してくれることで、私はこの世界の未来に希望を抱けるのだ。

 

彼らは、この世界のことを嘆かない。未来を嘆かない。

悪いニュースを聞いても、自分の周りの人たちや暮らしに希望を持っている。

 

彼らにはネガティブさを感じない。

 

私は、そういう人たちと同じ世界にいられることに感謝している。

そして、私も、もうネガティブなことに気を取られることなく、明るい未来だけを信じて、生きていこうと思う。今、ここにある身近でささやかな、でも確かな幸せに目を向けて、微笑んで生きていくのだ。

 

それが、きっと、本当の意味で、明るい社会を作っていくとにつながっていくのだから。